市岡100年の歴史もはや口承では伝わりきらないほどの歴史を市岡野球部は刻んできました。
そこでOB会が歴代の部員に協力を仰ぎ、一冊のハードブックを発行しました。

三本線の歴史はすべてここにつまっている

市岡硬式野球部一〇〇年誌

市岡野球部の100年を詳細に記録したハードブックを平成19年に発行しています。第一期について語れば明治時代まで遡る市岡硬式野球部。
シンボルとも言える特徴的な三本線の帽子誕生の秘密や戦前の高校野球について。そしてなにより市岡野球部が今もなお野球の名門として支持されるのは
なぜなのかがこの一冊を読めばわかるでしょう。歴史を深く調べあげ、見事にまとめあげたこの一冊、一度手にとってください。

伝統の三本線数々の市岡野球部員がただひたすら青春をかけてきた三本線。
それは言葉ではなかなか説明できないものですが、この一節は私達が探し求めていたものかもしれません。

青春の三本線

それは自由であり、明朗、快活であった。
先輩から後輩に受け継がれた人間形成の場である。
そこに人が集まり、去っていった。
その人たちが織り成した人間模様、それが市岡野球部の八十年の歴史である。
人は変わり、時は流れ去る。
東に大湖の水をうけて、洋々と西に二十余里を流れて大海にそそぐ大川の波路の
末にある市岡の地に学校ができて八十五年、
その市岡で野球を通じて少年時代を過ごした仲間たちの生き様。
これが青春の三本線なのである。

(市岡硬式野球部一〇〇年誌「青春の三本線」から抜粋)※八十年史(甲子園出場時)に読まれた句

市岡野球部の基本データ今なお「三本線の市岡」、「名門市岡」として広く認識されている
のは先人が成した功績あってこそ。

  • 創部

    111年

  • 甲子園出場

    21度

  • 大阪大会優勝

    13度

  • 野球殿堂入り

    4名

甲子園と市岡高校市岡野球部は通算21度甲子園の黒土に足あとを残しています。
1995年以来22度目の出場を目指し、選手一同日々の練習に励んでいます。

出場年、成績

  • 1916年
    第二回大会
    準優勝
  • 1918年
    第四回大会
    大会中止
  • 1919年
    第五回大会
    準々決勝敗退
  • 1921年
    第七回大会
    二回戦敗退
  • 1922年
    第八回大会
    初戦敗退
  • 1924年
    第一回大会
    準決勝敗退
  • 1924年
    第十回大会
    準々決勝敗退
  • 1925年
    第二回大会
    初戦敗退
  • 1925年
    第十一回大会
    二回戦敗退
  • 1926年
    第三回大会
    準々決勝敗退
  • 1928年
    第五回大会
    初戦敗退
  • 1929年
    第十五回大会
    準々決勝敗退
  • 1931年
    第八回大会
    二回戦敗退
  • 1934年
    第二十回大会
    準決勝敗退
  • 1936年
    第十三回大会
    二回戦敗退
  • 1937年
    第十四回大会
    二回戦敗退
  • 1940年
    第二十六回大会
    準決勝敗退
  • 1950年
    第二十二回大会
    初戦敗退
  • 1953年
    第二十五回大会
    二回戦敗退
  • 1987年
    第五十九回大会
    二回戦敗退
  • 1995年
    第六十七回大会
    初戦敗退

甲子園歴史館

田中勝雄氏のバット

田中勝雄氏のバット寄託

甲子園にまつわる歴史を一堂に集めた展示施設に、市岡高校OBであり、野球殿堂入りもされている田中勝雄氏のバットが寄託されました。

三本線の帽子

三本線の帽子を寄贈

市岡といえば三本線。通算21度の甲子園出場を誇る市岡高校野球部の帽子ももちろん甲子園歴史館に展示されています。周りの帽子とは明らかに一線を画した形状の三本線からは風格さえ感じます。

野球殿堂入りの先輩方歴代の名選手が名を連ねる野球殿堂。
市岡野球部からは4人ものOBを輩出しています。

殿堂入り年度:昭和56年

佐伯 達夫
Saeki Tatsuo

高校野球の発展に寄与した第三代高野連会長

大正初期、市岡中学、早稲田大学の三塁手で活躍。
豊中、鳴尾、甲子園と続いた全国中学校野球大会
に大正9年以来役員として参画し、戦後高野連の創設に伴い
副会長、会長を歴任。高校野球は教育の一環なりとの信念に徹して
これの指導育成に専念し、高野連今日の隆盛を築いた。
また、大学、社会人野球の指導者としてその発展に貢献。
87歳の生涯を通じて日本の野球界に残した功績は偉大である。

(昭和55年・88歳没)

殿堂入り年度:昭和60年

田中 勝雄
Tanaka Katsuo

アメリカ遠征も経験した早大を代表する強打者

大正七年、市岡中から早大に入学。
強打・攻守の外野手として四大学(のちの六大学)リーグで活躍
した。特に豪快な外野柵超の長打はファンの驚嘆の的となった。
大正10年アメリカ遠征中、強打者ホーンスビーの指導を受けて
ますますその真価を発揮し、日本最初の本格的ホームラン打者
と謳われるに至った。卒業後、オール大阪や早大監督、プロ野球
朝日軍の役員をつとめ、球界の発展につくした。

(平成7年・97歳没)

殿堂入り年度:平成6年

広岡 知男
Hirooka Tomoo

野球のオリンピック参加に尽力した

大正13年第一回選抜大会と第十回全国大会に市岡中学の遊撃手
三番打者として出場。五高では第三回全国高専大会で優勝。
帝大に進み昭和6年東京六大学秋季リーグ戦の首位打者となる。
朝日新聞社経済部記者を経て、同社社長のち会長。
高邁な人柄から多くの信望を集め、59年に日本学生野球協会会長に
迎えられた。平成三年には全日本アマチュア野球連盟会長をも
兼務して、野球のオリンピック正式参加に貢献した。

(平成14年・94歳没)

殿堂入り年度:平成元年

伊達 正男
Date Masao

米大リーグチームに挑んだ早大の鉄腕投手

市岡中学では春秋各2回甲子園へ出場。
早大へ進学の昭和3年春季リーグ戦に捕手5番打者で新人初の
首位打者(.469)を獲得。6年春季リーグ早慶戦には投手で出場
史上初の三日連投による勝利を遂げ、同年と9年に来日の米大リー
グチームをも畏怖せしめ豪腕投手として名声を博した。
卒業後はオール大阪チームに参加、9年都市対抗優勝、甲子園大
会の審判員、選考委員、プロ野球阪急のコーチ等を歴任。

(平成4年・81歳没)